【記者フリートーク】
≪G大阪担当・飯間健≫
あれは19年2月、遠藤が39歳の時だ。第一線でプレーできる秘訣(ひけつ)を聞いた時にマジシャンの話になった。「彼らは目線をずらすのがテクニック。ミスディレクションですね。サッカーも似たようなところがあるなと。右に誘導して相手をだますかとか…フェイントの一つとして面白いと思って取り入れています」。目を丸くした。
聞けば10年W杯南アフリカ大会の前後に偶然知り合ったマジシャンからヒントを得たという。若い時は瞬発力や反応速度でカバーできるが、ベテランになればフィジカル面で衰えが出てくる。それを受け止めた上でいかにマークを外した状態でプレーできるか、サッカー以外のところから発想を得た。遠藤らしいなと感心した。
ハーフタイムにシャワーを浴びる。自動車の運転速度は超ノロノロで「ヤット渋滞」という言葉ができるなど多くの逸話を持つ。指導者になって、どんな面白エピソードが生まれるのか。現役引退は寂しいが、新たな楽しみでもある。
≪元サッカー担当・西海康平≫
一度だけ、喜びを爆発させる場面を見たことがある。10年W杯南アフリカ大会のデンマーク戦。遠藤は直接FKを沈めると跳び上がってガッツポーズした。その後のハーフタイムにトイレの前でバッタリ会ったのが、父・武義さん。「W杯ドイツ大会の借りを返してくれた」。目には涙があふれていた。
W杯に3度出場した遠藤にとっても06年W杯ドイツ大会は忘れられない大会となった。1次リーグで敗退したばかりか、フィールド選手で唯一出番なしの屈辱。熱いものは常にひょうひょうとしたプレーで隠していたが、W杯での借りをW杯で返し、思わず熱い一面が出てしまった。
数年前、イベント取材で再会すると「久しぶりっすね~」と懐かしい声。サッカーをしている知人の息子がケガをしていると伝えると、色紙にペンを走らせ「ケガに負けるな!!」と書き込んでくれた。実は大の高校野球好きで体の奥には熱いものが流れているヤットさん。本当にお疲れさまでした。
≪23年~磐田担当・河部剛≫
長短織り交ぜた正確なパスに一撃必殺のプレースキック。日本が誇る名司令塔はピッチを離れても最高の“パサー”だった。
昨年8月のアウェー甲府戦。1カ月半ぶりの出場となった遠藤は右CKからのアシストで勝利の立役者となった。だが取材エリアへと向かうと遠藤は既に通り過ぎコーヒーを飲みながら関係者と談笑中。ぼうぜんと立ち尽くしていると「困るでしょ」と引き返して取材に応じてくれた。
チームや自身の状況が悪いときでも受け答えは常に冷静。こちらが聞きたいことを先回りして“活字映え”する言葉を選んでくれる。昨年末には遠藤が中心となって浜松市内で開催したサッカー教室を取材。去就について悩んでいたであろう時期にもかかわらず、今年の抱負について「健康第一」と話し和やかな雰囲気をつくってくれた。
経験の浅い記者にとって、受け手のことを考えた“言葉のパス”には感謝しかない。26年間お疲れさまでした。
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