光を当てることによって狙った神経細胞の活動を操作する「光遺伝学」という技術が、脳研究などで広く使われるようになってきています。脳の仕組みを理解するなど基礎的な研究だけでなく、失明した人の視覚の再生など治療への応用が期待されています。慶応大の栗原俊英准教授らの研究グループは、進行性の目の病気「網膜色素変性症」の治療薬の開発に力を入れており、2024年度の臨床試験(治験)開始を目指しています。 (小沢慧一)
◇慶応大が24年度 臨床試験目指す
◆スイッチ
光遺伝学は、「光学」と「遺伝学」を組み合わせて名付けられた技術で、〇五年に米スタンフォード大のカール・ダイセロス教授が開発しました。狙った神経細胞の活動を自由に操作し、行動への影響を調べることを可能にしました。これまでも神経細胞に電気による刺激を与えて反応を調べる手法はありましたが、周囲の細胞にも刺激が及ぶなどの課題があり、大ざっぱなことしかわかりませんでした。
光遺伝学の鍵となるのは、藻類から見つかった「チャネルロドプシン」というタンパク質です。光が当たると電気パルスが発生し、神経細胞の活動をオンとオフで切り替えるスイッチのような役割を果たします。
このタンパク質をつくる遺伝子を特定の神経細胞に入れると、光に反応してピンポイントで活動するようになり、その神経細胞の役割を知ることができるのです。現在では、チャネルロドプシン以外にも、光を感じるさまざまな「ロドプシン」が研究などで使われるようになっています。
◆手術不要
栗原准教授らの研究グループが治療薬の開発を目指す網膜色素変性症は指定難病で、国内では緑内障に次ぐ失明の原因になっています。世界には約百五十万人の患者がいるとされます。
網膜は、カメラで言えば撮像素子やフィルムにあたる部分です。目に入ってきた光は、網膜で像を結び、視神経を通って脳の後頭葉に伝わり、ものを見ることができます。網膜には三層の神経細胞があり、一番外側の層の「視細胞」が、外からの光を受け止め、色を識別したり暗いところでものを見たりする役目を担います。網膜色素変性症は、この視細胞が機能しなくなる病気です。暗い所でものが見えにくくなり、最終的には失明してしまいます。
網膜の三層の神経細胞のうち、真ん中の「双極細胞」、その内側の「神経節細胞」は、視細胞で受け止めた光を脳に伝える「電線」の役割を果たします。網膜色素変性症では、視細胞が失われてもこの電線部分は比較的残っています。治療法としては、視細胞の代わりに網膜の表面に人工網膜といわれるチップを埋め込む研究も進んでいますが、解像度が低いことなど課題があります。
研究グループの治療法は、光遺伝学を利用し、ロドプシンの遺伝子を組み込んだウイルスを目に注射するものです。ウイルスは無害化されたもので、遺伝子の運び屋役を担います。手術は不要で患者の身体的な負担は少なくなります。双極細胞や神経節細胞にロドプシンが組み込まれ、視細胞がなくても光を受け止められるようになり、ものが見えるという仕組みです。
◆ハイブリッド型
さまざまな種類があるロドプシンは、「動物型」と「微生物型」に大別することができます。動物型は光を強く感じ取ることができる一方、「レチナール」と呼ばれる光センサー分子を調整する必要があります。しかし、双極細胞や神経節細胞へは調整したレチナールを供給することができません。微生物型だとレチナールを調整する必要はありませんが、光の感じ方が動物型ほど強くありません。
そこで、研究グループは、動物型と微生物型を組み合わせたハイブリッド型の「キメラロドプシン」を作り出しました。実験では、網膜色素変性症で全盲となったマウスの視力が回復し、光の感じ方もこれまでの研究よりも強くなりました。
来年度にもキメラロドプシンの遺伝子を組み込んだウイルスを人に投与する臨床試験を行う予定です。栗原准教授は「健常者の視力と同等に戻すのは難しいが、この技術で夜間に歩行ができるレベルまで、視覚が再生するようにしたい」と意気込んでいます。
◇開発者はノーベル賞の有力候補に
光遺伝学を開発したダイセロス氏は、精神科医でもあります。脳研究を飛躍的に進展させた功績から、ノーベル賞の医学生理学賞、化学賞の有力候補に挙げられています。
感情など脳の活動の解明だけでなく、うつ病や睡眠障害、アルコールや薬物の依存症、心的外傷後ストレス障害(PTSD)など脳神経に関わる病気の原因究明や治療法の開発につながるとし、研究が盛んになっています。
東北大の虫明元(むしあけはじめ)教授らの研究チームは2020年、サルの脳にチャネルロドプシンの遺伝子を送り込み、光によって神経細胞を操作し、サルの手を動かすことに世界で初めて成功しました。人に近いサルでの実験の成功は、人の病気治療への応用につながると注目されています。
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