発表概要
東京大学大学院工学系研究科の武田俊太郎准教授らの研究チームは、情報を乗せた3個の光パルス(3量子ビット相当(注1))で様々な計算ができる独自方式の光量子コンピュータ(図1)の開発に成功しました。
図1:原理実証した光量子コンピュータ
近年、実用化へ向けて特有の強みを持つ、光を用いた量子コンピュータへの注目が高まっています。その中で、2017年に武田准教授(研究当時:助教)らは、どれほど大規模な計算も最小規模の光回路で効率良く実行できる「究極の大規模光量子コンピュータ」方式(関連のプレスリリース①)を考案しました。2021年にはその心臓部となる1個の光パルス(1量子ビット相当)の計算回路の開発に成功していました(関連のプレスリリース③)。今回、これをグレードアップして日本発「究極の大規模光量子コンピュータ」方式の小規模なプロトタイプを初めて完成させ、3個の光パルス(3量子ビット相当)で計算できる光量子コンピュータの原理実証に成功しました。開発した光量子コンピュータは、容易に光パルス数を増やせる拡張性と、計算の内容を切り替えられる汎用性を兼ね備えており、大規模汎用光量子コンピュータへの道を開くものです。また、その応用性の高さから、量子通信・量子センシング・量子イメージングなど多彩な光量子技術の実現を加速させるものと期待されます。
本研究成果は、米国東部夏時間7月25日に「Physical Review Letters」のオンライン版に掲載されました。
発表内容
〈研究の背景〉
世界で激化する量子コンピュータ開発競争の中で、近年、特有の利点を持つ光量子コンピュータの研究開発が進展し、大きな注目を集めています。量子コンピュータは、特定の計算において現代のスーパーコンピュータを超える性能を発揮する新しい計算原理のコンピュータです。世界各国で、超伝導方式やイオン方式など様々な方式で開発が進められています。その中で、光を用いた方式は、他の方式で必要な冷凍機・真空装置が不要で、高速な計算処理が可能であり、光を用いた量子通信との相性も良いといった利点があり、近年その研究が目覚ましく進展しています。
2017年に武田准教授(研究当時:助教)らは、どれほど大規模な計算も最小規模の光回路で効率良く実行できる「究極の大規模光量子コンピュータ」方式(関連のプレスリリース①、図2)を考案しました。この方式のポイントは、量子ビットの情報を乗せた多数の光パルスを時間的に一列に並べ、大きなループ(情報を蓄えるメモリの役割)の中に閉じ込めた上で、その中に1個の計算回路(光量子プロセッサ)を組み込むというアイデアです。この構造では、多数の光パルスが1個の計算回路を繰り返しループしながら何ステップでも計算を続けられるため、どれほど大規模な計算でも最小規模の回路で実行できるのが特徴です。従来、大規模な計算には多数必要と考えられていた計算回路が、この方式では1個で済ませられるため、光量子コンピュータ開発に必要なリソースやコストが大幅に減少し、光量子コンピュータの飛躍的な大規模化につながります。この提案後、2019年に光量子プロセッサの一部の機能が実現し(関連のプレスリリース②)、2021年には光量子プロセッサが完成して、1個の光パルス(1量子ビット相当)に計算を行う動作が実証されました(関連のプレスリリース③)。しかし、複数個の光パルスを用いて計算する機能の実現にはまだ至っていませんでした。
図2:「究極の大規模光量子コンピュータ」方式
量子ビットの情報を乗せた多数の光パルスを蓄える大きなループの中に、1個の計算回路を組み込んだ構成です。今回、2021年に開発した計算回路に大きなループを付け加えることで、「究極の大規模光量子コンピュータ」方式のプロトタイプが初めて完成し、複数個の光パルスで計算する機能が実現しました。本方式の詳細は関連のプレスリリース①をご覧ください。
〈研究の内容〉
今回、本研究チームは、情報を乗せた3個の光パルス(3量子ビット相当)で計算ができる独自方式の光量子コンピュータの開発に成功しました(図1)。開発した光量子コンピュータは、容易に光パルス数(量子ビット数)を増やせる拡張性と、計算の内容を切り替えられる汎用性を兼ね備えた、「究極の大規模光量子コンピュータ」の小規模なプロトタイプであり、大規模汎用光量子コンピュータ実現への道を開く成果です。
今回の成果の技術的ポイントは、2021年に開発した1個の光パルスで計算が行える光量子プロセッサを、複数個の光パルスを蓄えるメモリの役割のループの中に組み込むことで、複数個の光パルスで計算ができる光量子コンピュータにグレードアップしたことです(図2)。具体的には、光量子プロセッサの外側に、2個分の光パルスを蓄えられる大きなループを新たに付け加えました。完成した光回路全体は大きなループ(1周約40 m)の中に小さなループ(1周約20 m)が入れ子になった2重ループ構造であり、その2つのループそれぞれの1周の長さをナノメートル精度で同時に安定化する新しい制御技術も開発しました。さらに、2重ループ回路内の4つの可変要素(可変位相シフタ、可変透過率ミラー、2個の光スイッチ)を光パルスの動きに時間同期しながらナノ秒精度で切り替える制御システムを開発しました。これにより、「究極の大規模光量子コンピュータ」の基本的な光回路構成が初めて完成し、複数個の光パルスに対して計算が行えるようになりました。
今回、開発した2重ループ構造の光量子コンピュータを用いて、3個の光パルスを互いに混ぜ合わせる「線形光学変換(注2)」と呼ばれる計算処理を実証しました(図3(a))。この処理は、複数個の光パルスに対する計算処理として最も重要なものであり、光量子コンピュータのみならず、量子通信や量子センシングなどあらゆる光量子技術に必須の要素です。従来、この計算処理を行うには、複数の固定透過率ミラーや固定位相シフタを空間的に並べて光パルス同士を順番に干渉させていく光回路構成が用いられていました(図3(b))。しかしこの場合、光パルス数が増えるにつれて光回路が大規模化するという難点がありました。
図3:今回と従来の線形光学変換の実装方法
(a)本研究では2重ループ回路を用いて3個の光パルスに対する線形光学変換を実証しました(詳しい動作は図4)。この方式では、外側のループを大きくしていくだけで、光回路の規模を変えることなく扱える光パルスの数を増やせます。(b)従来は固定位相シフタや固定透過率ミラーを空間的に並べて線形光学変換が行われていました。この方式では、光パルス数が増えるにつれて光回路が大規模化するという難点があります。
一方、今回開発した2重ループ回路は、外側のループに光パルスを蓄えながら、内側の小さなループで可変位相シフタと透過率可変ミラーを繰り返し用いて順次光パルスを干渉させることで、この計算処理が行えます(図4)。この場合、外側のループを大きくするだけで、光回路の規模を変えることなく扱える光パルスの数を増やすことが可能で、高い拡張性があります。また、光回路構成(ハードウェア)を変えずに、プログラムを書き換えてミラー透過率などの切り替えパターンを変更するだけで、あらゆる線形光学変換を実現できる汎用性も兼ね備えます。今回は、2重ループ回路にスクイーズド光(注3)と呼ばれる量子的な光パルスを3個送り込み、9種類の線形光学変換を行って、それぞれ光パルスが期待通り変換されていること、また変換後に量子性を保つことを実証しました。今回のような拡張性の高い2重ループ回路を用いて、複数の光パルスにあらゆる線形光学変換が行えるシステムを実現したのは世界初です。今回開発した光回路は、量子コンピュータのみならず、様々な光量子技術に利用できる応用性も併せ持ちます。本成果により、拡張性・汎用性・応用性を兼ね備えた独自の光量子コンピュータのプロトタイプが完成したと結論づけられます。
図4:線形光学変換を行う際の2重ループ回路の動作
(a)から(f)までの順に動作させることで、順次光パルス同士を干渉させ、3個の光パルスに対する線形光学変換を実装しました。
〈今後の展望〉
本成果は、日本発のアイデアである「究極の大規模光量子コンピュータ」の小規模なプロトタイプを完成させたマイルストーンとなるものです。今後、より複雑な計算(注4)をする機能を追加するとともに、ループを長くして扱える光パルス数を増やしていくことで、大規模汎用光量子コンピュータへと拡張できます。これにより、将来的には材料・医薬品の開発や機械学習など様々な用途に応用可能な光量子コンピュータが実現できると期待されます。
また、本成果は、光を用いた様々な量子技術への波及効果が見込めます。光の量子技術は応用分野が幅広く、光の量子性を用いて安全性や通信性能を高める量子通信や、従来の物理的限界を超えた光計測を可能とする量子センシング・量子イメージングなどがその例です。今回開発した光回路は応用性も高いため、様々な光量子技術に組み込まれ、その実現を加速させるものと期待されます。
今後は、「究極の大規模光量子コンピュータ」の実現へ向けたさらなる技術開発を進めると共に、今回の技術の様々な分野への応用可能性について検討を進めて参ります。
〈関連のプレスリリース〉
①「究極の大規模光量子コンピュータ実現法を発明 ~1つの量子テレポーテーション回路を繰り返し利用~」(2019/9/22)
https://www.jst.go.jp/pr/announce/20170922/index.html
②「最小限の光回路で様々な光の量子もつれを効率的に合成 ―『究極の大規模光量子コンピュータ』の心臓部を実現―」(2019/5/18)
https://www.t.u-tokyo.ac.jp/press/foe/press/setnws_201905201322203614181652.html
③「様々な計算を何ステップでも実行できる万能な光量子プロセッサを開発 ―日本発『究極の大規模光量子コンピュータ』実現に道―」(2021/11/16)
https://www.t.u-tokyo.ac.jp/press/foe/press/setnws_202111161112513957617710.html
発表者
東京大学大学院工学系研究科
武田 俊太郎(准教授)
論文情報
〈雑誌〉Physical Review Letters
〈題名〉Time-Domain Universal Linear-Optical Operations for Universal Quantum Information Processing
〈著者〉Kazuma Yonezu, Yutaro Enomoto, Takato Yoshida, and Shuntaro Takeda*
研究助成
本研究は、科研費(課題番号:20H01833, 21K18593)、文部科学省卓越研究員事業、東レ科学技術研究助成(課題番号:19-6006)、キヤノン財団の支援により実施されました。
用語解説
(注1)3量子ビット相当
一般的な量子コンピュータでは、「0と1の重ね合わせ」である量子ビットを情報単位とします。一方、今回の実証実験では「連続的な値の重ね合わせ」を情報単位として用いており、量子ビットとは異なることから、3量子ビット「相当」と表記しています。将来的には、量子ビットの情報を書き込んだ光パルスを用いれば、今回の光量子コンピュータは3量子ビットの光量子コンピュータとして利用できます。
(注2)線形光学変換
入力された複数個の光パルスの波(電場)を一定のルールで足し引きして出力するような、複数入力・複数出力の変換です。1個の光パルスの波の振動のタイミングをずらす位相シフタと、2個の光パルスの波の足し引きを行う部分透過ミラーを複数組み合わせることで実現できます。
(注3)スクイーズド光
光の波の振幅や位相は、たとえ光が全く無い(真っ暗な)状態であっても完全にゼロにはならず、常にランダムに揺らいでいます(量子揺らぎ)。振幅もしくは位相のいずれかの揺らぎを通常よりも小さくした光をスクイーズド光と呼び、量子もつれの生成などに用いられます。
(注4)より複雑な計算
光量子コンピュータがどのような計算でも実行できる機能を持つためには、2021年に実証した1個の光パルスに対する複数種類の変換と、今回実証した複数個の光パルスに対する線形光学変換に加えて、より複雑な計算処理である非線形変換が必要になります。このため、現状の光量子コンピュータはまだ限られた計算しか実行できません。非線形変換は、今回の光量子コンピュータ回路に特殊な量子光を入射して適切に動作させることで実行できることが知られているため、今後その機能を追加することを目指しています。
プレスリリース本文:PDFファイル
Physical Review Letters:https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.131.040601
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