■家事分担アプリ開発への挑戦
日常で繰り広げられる家事分担、どのようにすれば良いか悩んでいる方も多いのではないだろうか。例えば、家族で得意・不得意な家事が異なる場合、どのように分ければ公平だろうか? 何を持って公平とするかは人によって異なり、全ての人が満足するような分け方を求めるのは必ずしも簡単ではない。本稿では、そんな疑問に答えるべく、公平なアルゴリズムを活用し、家事分担アプリ開発に携わった経験について紹介する。
■公平分割理論とは
私は、公平分割理論(Fair Division)の研究を行っている。公平分割理論とは、様々な「もの」や「こと」の公平な分け方を考える理論で、曖昧(あいまい)に使われがちな公平性という概念を数学的に定義し、公平性を保ちつつ全ての人々をハッピーにするようなアルゴリズムを設計することを目標とする。すでに公平分割の理論は、米国カーネギーメロン大学が開発したSplidditというウェブサービスで財産分与、家賃分配などに応用されていて多くの人が活用している**1。
私が公平分割問題を研究したきっかけは、数学的な興味から出発している。イギリスでの博士課程留学時に、チェコ、フランスの公平分割理論の研究者と一緒に共同研究をする機会があった。基礎的な背景知識がなかったので、インターネットで公平分割についていろいろと調べていたところ、公平分割の数学的な面白さに感銘を受け、どんどん惹(ひ)かれていった。例えば、[0,1]区間で表される資源の公平配分の存在は、Spernerの補題という離散数学の古典的な補題を使い、非常にエレガントに証明できることが知られている**2。また、ルームシェアなどにおける、公平な家賃配分の計算にもSpernerの補題は使われている**3。
■サイエンスインパクトラボへの参加
2018年3月にイギリス留学を終えてからも公平分割の理論的な研究に打ち込んでいたものの、研究論文は同じコミュニティの研究者にしか届かず、なかなか一般の人々に役に立つようなことができないとモヤモヤしていた。そんな中、2021年夏に国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が主催するサイエンスインパクトラボに参加しないかと打診があった。サイエンスインパクトラボとは、若手研究者と企業・NPOなどの民間で活躍している方々との交流会で、研究の社会実装を産学官民で模索するというものだ。具体的なプロジェクトを立ち上げるというよりも、みんなで構想を練る期間限定のイベントなので、参加する敷居は高くなかった。社会実装の第一歩としてちょうど良い機会なのではと思い、参加した。
約3カ月にわたる期間に3回ワークショップが行われ、地方自治体の仕事に携わる方、NPOで活動をしている方など、様々なバックグラウンドを持つ方々とお話をする機会をいただいた。災害時の食料配分、医療従事者のシフトスケジューリングなどといった具体的な問題から、世代間の公平性を考慮した税金の使い方、情報格差の解消など大きな問題まで、皆さんが悩みを抱えている「公平」に関わる問題が非常に多岐にわたり、改めて「ものごとを公平にする」ことの難しさに気付かされた。
その中でも、私のチームでは、家事分担を問題解決するアプリ制作のためのシナリオを作ろうということになった。家事分担を選んだのは、身近な問題なので、一般の人々にとっても分かりやすいこと、また分担に参加する人数も少ないため、比較的数学のモデル化がしやすいといった理由があった。シナリオ作りに際し、様々な議論はあったが、特に意見があったのは、アプリが喧嘩(けんか)の原因になってしまうのではないかという懸念だ。そこで、アプリはあくまでも話し合いのきっかけを提供するものとして、楽しく使ってもらえるような工夫について多くのアイデアが交わされた*1。では実際にどのような具体的な一歩を踏み出せば良いか、という話になったとき、一般社団法人コード・フォー・ジャパン(Code for Japan)社員のチームメンバーの方から、Code for Japanが主催するハッカソン(短期間に集中的にソフトウェア開発作業を行うイベント)に参加してはどうかというお誘いをいただいた。
■シビックテックにおけるアプリ開発
Code for Japanとは、住民参加型のテクノロジー活用「シビックテック」を推進している団体だ。これまでの取り組み事例としては、東京都の新型コロナ対策サイトの開発が有名である。私としても、市民の力でテクノロジーを活用し問題解決に取り組む活動は、とても興味深く、当初は気軽に一回参加してみようという気持ちであった。そこで、Code for Japanの社員の方と2022年2月にミーティングをしたところ、NHKと子育て・育児ハッカソンを企画中とお聞きし、家事分担はまさに夫婦間で大きな問題となるトピックなので、ぜひハッカソンでアプリのアイデアを実現しようということになった。そして、3月中旬に行われたアイデアソンで仲間を募ったところ、北海道在住のフランス人のソフトウェア開発者、現役のデータサイエンティストなど頼もしい方々が次々に集まってくれた。この企画では、5月中旬に開発したアプリの試作品をNHKでデモをし、その2週間後にそれまでの活動をNHKスペシャルにて放映する予定だった。デモデーという明確な締め切りがあったため、約2カ月間チームメンバーと毎週ミーティングを行い急ピッチで開発を進めた。
■説明の難しさ
開発の中で、特に私が難しいと感じたのは、説明だ。特に、アルゴリズムはそれぞれの主観的な評価の下での妬(ねた)みを小さくする分担を計算するが、そのような家事分担がなぜ公平か分かりやすく説明するのに苦労した。散布図や、棒グラフなどいろいろ試してみたが、納得できるものはなかなか見つからず、いよいよデモデーまであと一週間というギリギリまで、分担の表示方法をどうするかは議論が続いていた。最終的には、円グラフを用いることによって、自分の割り当てに対する評価も他人の割り当てに対する自分の評価も可視化することができた(図1)。
■介入の難しさ
さらに、公平性に関してテクノロジーでの介入の難しさも感じた。何らかのものごとを公平にしたいとき、現状より負担が増える人がいる場合がある。特に、家事分担は家庭によって制約が様々であり、学術的な答えが必ずしも人々にとって納得する答えとは限らない。そこで、ユーザーが非難されていると感じないように、言葉の使い方にとても気を使った。例えば、当初は「妬みのない分担」という用語を使っていたが、「妬み」はネガティブなイメージを持つとの意見があり、「理想的な分担」と変更した。個人的にも、テレビで放映されるということもあったので、心の中では炎上しないか不安でいっぱいで、時間が許す限りアルゴリズムの改良を行った。
2022年5月29日にNHKスペシャルにて無事放送後、翌日の5月30日時点では、6,000以上の異なるユーザーからのアクセス数があり、ある程度需要はあるのかと感じている。ユーザーがどういった分担に納得するか、またアルゴリズムの提案をどの程度参考にするかは、研究としても非常に興味深く、今後検証が必要だ。
番組でも紹介されていたが、「テクノロジーは私たちの背中を少し押すような役割を担うだけで、ITが全て解決してくれるわけではない」という他のアプリ制作チームのエンジニアの方の言葉がとても印象に残っている。家事分担アプリについても同様に、アプリが提示するのはただの提案であって、個々の家庭やカップルでの最適解は、ユーザーに模索してもらうものかもしれない。アプリが話し合いの際に、何らかの役に立つのかは、まだ私自身としても分からないが、これについても引き続き調査できればと思う。
■最後に
今回のアプリ制作を通して、社会課題解決のためには、研究者だけでできることには限りがあり、より横断的な枠組みが必要なことにも改めて気付かされた。多くの方々にご協力をいただいたおかげで短期間にアプリの試作品を開発できたが、社会実装・アプリ制作ともに未経験だった私一人の力では、ここまで辿り着けなかったと感じている。お仕事の傍ら、アプリ開発に関わっていただいた方々には本当に感謝の言葉が尽きない。また、応用研究を行ったことで、研究の課題も幾つか見つかった。例えば、アプリではそれぞれの家事に対する好みをユーザーに入力してもらうが、そもそもどの程度好きか分からないといった問題がある。機械学習などの他分野の研究者と連携して、そのような理論と応用のギャップは埋めていく必要があるのかもしれない。真の社会貢献のために、今後も理論と応用をうまく行き来しながら研究活動を続けていきたいと思う。
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